2010年11月10日水曜日

韓国釜山の熊川倭城(ウンチョンウェソン)まで行って来ました。

豊臣秀吉が朝鮮に派兵させた時に、1597年11月から宇喜多秀家・藤堂高虎に造らせた、日本式お城の跡を歩いて見ました。地図の表示も無く近くに住んで居られる方に聞きながら行ったのですが、あの山ではないか、と言う話を農協に来ていた人から聞き登る事にしました。大変暑い日でゆっくり歩くだけで大汗をかく程の猛暑の日でした。

解り易いように写真付きでご案内します。興味のある方はこれを印刷して持参すれば迷うことは無いと思います。

地下鉄の沙上駅で降り、地上に出るとショッピングセンターの前に出ます。
2階に釜山西部バスターミナルの鎮海(チンヘ)
行きのバスの切符売り場があります。

このフロアーが2階のバス券買所の窓口側から撮影した写真です。

3番窓口で鎮海(チンへ)行きのバスで熊川(ウンチョン)までの切符を買う。
私の前に立っている黒いポロシャツの二人の男性は地下鉄の職員さんです。
ご親切に切符売り場まで案内してくれました。その節は大変有難うございました。
鎮海行きのバスに乗って約60分ほどで熊川に到着します。
運転手さんに「ウンチョンで降ろしてください」と、
前もって用意したハングルのメモでお願いしておくと安心です。
前方に見えるバス停が、降車する熊川(ウンチョン)のバス停です。
バスの進行方向から戻る方向へ約20m程の所に横断歩道があり
道路の反対側に渡って、すぐそばの交差点を南(バスの進行方向の左側)
へ向かって歩き始める。

交差点から入ったこの道路(右側にシャレた高校がある)を約300mほど直進する。
道路左側に写真の3階建てのビルがある、そのビル手前の路地を左折する。
道なりに歩くとバイパスの陸橋が見えて来る、
その下を潜り抜けて左側に曲がると大きなケヤキが目に入る。
左の道路はバイパスの入り口です。正面のケヤキの下を右の路地へ右折する。
欅の下の石塔はハングル文字で何と書いてあるのか不明でした。
欅から200mほど歩くと右側に廃工場が見えて来ます。
そのまま道なりに100mほど直進すると右側に下の写真の看板が見えてきます。
この道標が城跡の山の入り口です。右へ曲がると分かれ道がすぐ有りますが、
右側の舗装されてない方の山道を登って下さい。
この様な舗装されてない曲がりくねった道が頂上近くまで続きます。
途中の公園風の平地が在りますが、ここが登りの工程の半分ぐらいの所です。
ここで一休みして写真の正面の山道を登ります。

この辺から石積みの城壁の跡が見え隠れします。
うるさいぐらいの蝉時雨の中を歩くすぐに頂上です。

この城跡に3箇所ほど在る日本式のお城の虎口が見えました。
日本で造られた石積みより小石が多く、短期間で大急ぎで造ったと思われます。

頂上の石垣が見えました。この付近が武家屋敷が有った場所らしいです。

大汗かいて頂上に到着です。周りは石積みの石でいっぱいです。
英語とハングルの文字が並んでますが、日本語はまったく使われてません。

当時の海岸から山頂まで続いてる石積みが見られます。
現在は埋め立て中で造成地が眼下に広がってます。
登る途中の平地に、ほとんど使われて無い様なトイレが在りました。
頂上から見える景色がとても綺麗で、当時は日本から遥々海を渡ってきた
木造の軍船が数多く停泊していたと思われる入り江が見渡せました。
今はご覧のとおり埋め立てが進んでおりやがて工業団地にでも変わるのかな。

下山後は町中の食堂の前で飲んだビールが最高でした。
少し肌寒いくらいの秋に行かれるほうが紅葉も見れて気持ちが良いと思います。
(緑の松が多いので紅葉はどうかな?)
バス停までの帰り道お洒落な高校の入り口で記念撮影。帰りのバス停はバス道路に出て右折した所です。来るときと同じバスだったので運転手さんが「お帰りなさい」と声を掛けてくれました。日本語が一切使われてないので、苦労しますが前もってハングルで行きたい所や、降りたいバス停の名前をハングルでメモしておくと便利です。釜山の若い人はとても親切で丁寧に対応して下さいます。とても楽しい旅でした。もし行かれる方がいらっしゃれば簡単に地図を書いて差し上げますのでコメント欄にご伝言ください。メールアドレスもご記入下さい。


1 件のコメント:

  1. はじめまして
    徳田と申します。

    熊川倭城の写真付きの解説、とても参考になりました。
    近いうちに、熊川倭城に行きたいと思っています。
    できましたら、簡単な地図をいただければ幸いです。
    よろしくお願いいたします。

    メールアドレス:us9h-tkd@asahi-net.or.jp

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